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Re: N先生の「働くほどよく読書する」

 投稿者:sakamoto  投稿日:2017年 4月29日(土)18時37分19秒
返信・引用
  > No.8009[元記事へ]

sakamotoさんへのお返事です。

> 啓造君から紹介されたN先生のコラムを毎日、拝見させていただいている。
> 推敲され、きちんと整理され、そして含蓄のあるコラムは、読むたびに感心する。舌をまく。
>
> 最近の「働くほどよく読書する」のコラムは、実は私に限っていうとあたっている。
> 日々、「饗宴」、「野生の思考」、「カレワレ」、「現代詩集」、「第二次世界大戦」、「遙かなノートルダム」、コナンドイルの原書、唐木順三、吉田健一各作品を併読しているのだが、読む時間が限られているからこそ、読めるのだろうなあといつも思っている。逆に休日は、さほど食指がわかない。

おっと、「神経質礼賛 1374.あれこれ気の張っている時、最も仕事ができる」
これも、同感。
実は2月は、本当に大変でしたが、この通りでした。
バックナンバーを読むのが楽しみとなりました。
 
 

Re: アメリカ英語とイギリス英語

 投稿者:sakamoto  投稿日:2017年 4月29日(土)18時02分20秒
返信・引用
  > No.8013[元記事へ]

sakamotoさんへのお返事です。

> 同僚が、日本の文化をテーマにした海外向の本の出版を準備している。
> 本は、文章は、英語(同僚が取材し、執筆)で書かれ、レイアウト、写真は外部のプロによるもので、迫力のあるものになっている。
>
彼女が担当している物件を私が請け負っている。昨日は5時出社、今日も短時間ではあるが事務所に出向くというハードな案件(以前、ここで言及した覚えあり)。以前は、それを監督していた立場だったのが逆転する。

3月に、彼女は、本を作るチームとロンドン、パリに出張する。
お土産に、フランスワインをいただく。まだ空けていないので、いつか試飲しましょうか。
 

Re: Pax Tokugawa

 投稿者:sakamoto  投稿日:2017年 4月29日(土)17時35分49秒
返信・引用
  > No.8025[元記事へ]

keizoさんへのお返事です。
>
> もう焼津から帰られたんですか?
> お母さんのお加減いかがですか?
>
さきほど戻ってきました。直接、病院に行ったのですが、面会時間でないということで
切り上げ、実家に行ってきました。
坂本の家からは、家族に対しては、面会時間は関係ないと言われました。

胃瘻 の処置をすれば、1,2年の余命はあるとのこと。恐らくこの処置になると思います。
明日、坂本の家が出向く時間帯に合わせて、再度出向く予定です。

少子高齢化が進む、未来は暗然たるものがあります。
 

Re: 日本語と英語の根本的な違い 6

 投稿者:sakamoto  投稿日:2017年 4月29日(土)17時25分38秒
返信・引用
  > No.8017[元記事へ]

sakamotoさんへのお返事です。

> keizoさんへのお返事です。
>
> これでこのたびの論考の動機が、分りました。
>
> カナダの先生は、つくろったような文章よりも、その人の思想がessayerされていることのほうを大事されたのかなと思います。

30年以上も前に読んだ、森有正氏の「遥かなノートルダム」を取り出して、読んでいる。
そこに(『霧の朝』)、フランスの教育に言及している箇所がある。
(そういえば、昔、デカルトについて著した、野田又夫氏の新書を読んだ時、明晰な文章だろうと感嘆したことがある。)

@@@@@

フランスの教育で要点となっているところは、知識の組織的集積と発想機構の整備の二つにしぼることができると思う。知識の集積というと、言うまでもなく記憶が主要な役割を果たす。そしてそれは実に徹底している。例えば中等教育の歴史科をとってみると、先史時代から現代まで、第六学級から卒業までの七年間に実に膨大な量を注入する。教科書の量から言うと大版の頁にギッシリつまった本文二千頁を優にこす分量を生徒は憶えなければならない。ただその知識が、内容を省略せずに、各時代の主要問題、政治、外交、経済、社会、文化を中心に、いわゆる合理的に整理配列され、しかも非常に頻繁なコントロールや宿題、さらに作文によって生徒自身の表現能力との関連において記憶されるようになっている。これは他のすべての課目においても同様で、数学や自然科学にまで作文が課される。こうして実に膨大な量の知識が組織的に蓄積される。日本の中高校の教科書と比べて見ると量だけでもまさに一対五くらいである。ことにその記憶そのものが合理的に統制され、たえずコントロールされている有様を見ると、記憶が単に受動的な機能ではなく、発想機構と密接に結びついた積極的機能であることが前提とされているのがわかる。

発想機構の整備はフランス語の授業で集約的に代表される、これは小学校入学から中等教育の終了、すなわちバカロレアの試験まで、全教科の中心的位置に置かれて組織的に遂行される。その眼目は読み理解することよりも書くことに集中される。そのために語彙、文法、作文が低学年から教えられる。方法はまず徹底的に分析的であり、語彙は一語一語吟味され、その定義と正しい用法が練習に課され、文法は細則にいたるまで作文によって訓練される。読本の読解ももちろん行われるが、それが作文のための例文のような観を呈している。学年が進むと文法的分析に論理的文体論的分析が加わる。そして作文は、いつも、全体を総括的にコントロールするものとして、中心的位置をしめている。
<中略>
歴史、地理、公民科なども、作文が最後のしめくくりになるので、同時にフランス語の教科としての役割をも果たしているのである。そうして文科系では最高学年に哲学が課され、思考の訓練が行われる。自己の思索を実践発表する発想機構は最後まで開発習練を受ける。
<中略>
教育の中心課題が知識の組織的蓄積とそこから自己の発想を行うという眼目に置かれていることはすこしも変りがない。
 

Re: Pax Tokugawa

 投稿者:keizo  投稿日:2017年 4月29日(土)17時21分41秒
返信・引用 編集済
  > No.8023[元記事へ]

sakamotoさんへのお返事です。

うらちゃん、拙論に対するご回答ありがとうございました。
もう焼津から帰られたんですか?
お母さんのお加減いかがですか?


@@@@

こういうのが見つかりました。
すでにこういう言い方もあるんですね。

pax tokugawa という言い方もあるようですね。
これを読む限りは、「強権的」にもたらされるイメージは
ないのでしょうね。


https://www.nichibun-g.co.jp/column/manabito/history/history084/

2015.01.28
学び!と歴史 <Vol.84>
徳川の平和 Pax Tokugawana
大濱 徹也(おおはま・てつや)

(前略)


徳川将軍家による統治は、武力による直截的支配ではなく、法と礼によることがめざされ、戦乱のない平和、徳川の平和をもたらしました。その様相は、ローマ帝国による「平和」に擬えられ、「徳川の平和 Pax Tokugawana」と評価されることとなります。このような秩序を可能にしたのは、寺子屋等の普及にみられる世界が展開していたことによります。

(後略)

@@@@

https://kannsann.wordpress.com/2011/10/10/%E3%80%81%E3%80%8C%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%97%A5%E6%9C%ACtokugawa-japan/

「平和国家」としての江戸日本TOKUGAWA-JAPAN
投稿日: 2011年10月10日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★


最後に、「平和国家」としての江戸日本について。江戸時代は、「幕藩体制」と言う封建社会と、「鎖国」に代表される外部との交流を拒絶した閉鎖社会として、以前から、マイナス・イメージで捉えられてきました。確かに、「士農工商」(武士・農民・工人・商人)からなる階級制度や、海外との自由貿易の禁止等、マイナス面があったのも確かです。しかし、その「江戸時代」が、海外では「Tokugawa Japan」(トクガワ・ジャパン:徳川幕府治下の日本)として高く評価されている事も事実です。何故、高く評価されているのかと言うと、第一に、犯罪の少なさ(前述の通り)・第二に、清潔に保たれた都市環境(昔のパリやロンドンは、町中、排泄物・汚物だらけ!!)・第三に、勤勉実直で道徳心に富む国民(これは、戦国末期や幕末期に来日した外国人が指摘している)、そして、「平和国家」として、江戸日本に「実績」があったからなのです。この「平和国家」としての日本は、「Pax Tokugawana」(パックス・トクガワーナ あるいは、Pax Tokugawa パックス・トクガワ:徳川による(日本の)平和)と呼ばれているのですが、これは、元和元(1615)年の「大坂夏の陣」を最後に、幕末に至る迄、実に250年にわたって、これと言った戦乱も無く、幕府が常備軍(国軍)を組織せず、ましてや領土拡張を狙った海外侵略も企てず、ひたすら「泰平の世」(平和)を謳歌してきた事に対する賞賛です。それに対して、隣国・シナ ── 当時の清国は、康煕帝から乾隆帝に至る全盛期に、領土拡張の為の遠征をしていますし、欧米列強諸国も、世界各地に植民地獲得の為に、兵を送っています。そう考えると、日本列島と言う狭い空間の中で、曲がりなりにも自給自足体制を確立し、戦乱とは無縁な社会を維持してきた徳川将軍15代265年間 ── 江戸時代とは、ある意味では、現代以上に平和な時代だった共言えます。


> keizoさんへのお返事です。
>
> >
> > 「強大な覇権国、統治者が強権的にもたらす永続的平和状態」といったニュアンスで
> > pax という言葉を理解していました。
> >
> > 最近では pax americana とよく言われますね。
> > もしそうだとすると徳川時代にそれを当てはめるのは
> > ニュアンス的に微妙な気がするのですが・・・。
> >
> > tokugawana と語尾変化しなくてもいいのでしょうか?
> >
> >
> なるほど。
> ネットで見ましたところ、そういう語尾変化をしていました。
> ニュージーランドの先生が修正した際にも、そのように修正したかも知れません。
> 県立美術館で催し宣伝の惹句にそれが使用されいたのを記憶しています。
>
> 別のネットによれば、
> ギボンの造語は広く知られることとなり、彼に倣い後世の学者たちによって、「強大な一国の覇権による(相対的)平和」を「パクス-」と呼ぶようになった。
> となっていました。
>
> > もしそうだとすると徳川時代にそれを当てはめるのは
> > ニュアンス的に微妙な気がするのですが・・・。
> 牽強付会なところがありますね。(相対的)平和がおよそ300年あったいうこところを言いたかったのかも知れません。
>
>
>
>
 

Re: 英語遍歴の一部 ご回答感謝

 投稿者:keizo  投稿日:2017年 4月29日(土)17時19分21秒
返信・引用
  > No.8022[元記事へ]

渚のバラードさんへのお返事です。


ご回答ありがとうございました!

> keizoさんへのお返事です。
>
> > でも、B.S.がわかりませんでした。
> > 文脈から察するに「上級クラス」のようなものなんでしょうか?
>
> いえいえ、単純に"Business School"の略です。
> 経営大学院であり、正確には"Graduate School of Businesss"です。ここを卒業すると
> 経営学修士になり、所謂MBA(Master of Business Administration)となるのです。
>
> > >通算の平均点は楽々3.0を超えました
> >
> > GPAの成績なんでしょうか?
>
> GPAです。A:4.0、A-:3.7、B+:3.3、B:3.0、B-2.7、C:2.0 として通算の加重平均が
> 学期末に通知されます。これが3.0を割ると"Probation"という「仮及第期間」を通告され
> 次の学期で頑張って3.0以上に引き上げないと退学になるのです。これが日本とは異なる、
> 米国の大学の厳しさです。
 

Re: Pax Tokugawa

 投稿者:sakamoto  投稿日:2017年 4月29日(土)17時07分51秒
返信・引用
  > No.8021[元記事へ]

keizoさんへのお返事です。

>
> 「強大な覇権国、統治者が強権的にもたらす永続的平和状態」といったニュアンスで
> pax という言葉を理解していました。
>
> 最近では pax americana とよく言われますね。
> もしそうだとすると徳川時代にそれを当てはめるのは
> ニュアンス的に微妙な気がするのですが・・・。
>
> tokugawana と語尾変化しなくてもいいのでしょうか?
>
>
なるほど。
ネットで見ましたところ、そういう語尾変化をしていました。
ニュージーランドの先生が修正した際にも、そのように修正したかも知れません。
県立美術館で催し宣伝の惹句にそれが使用されいたのを記憶しています。

別のネットによれば、
ギボンの造語は広く知られることとなり、彼に倣い後世の学者たちによって、「強大な一国の覇権による(相対的)平和」を「パクス-」と呼ぶようになった。
となっていました。

> もしそうだとすると徳川時代にそれを当てはめるのは
> ニュアンス的に微妙な気がするのですが・・・。
牽強付会なところがありますね。(相対的)平和がおよそ300年あったいうこところを言いたかったのかも知れません。



 

Re: 英語遍歴の一部

 投稿者:渚のバラード  投稿日:2017年 4月29日(土)15時18分24秒
返信・引用
  > No.8020[元記事へ]

keizoさんへのお返事です。

> でも、B.S.がわかりませんでした。
> 文脈から察するに「上級クラス」のようなものなんでしょうか?

いえいえ、単純に"Business School"の略です。
経営大学院であり、正確には"Graduate School of Businesss"です。ここを卒業すると
経営学修士になり、所謂MBA(Master of Business Administration)となるのです。

> >通算の平均点は楽々3.0を超えました
>
> GPAの成績なんでしょうか?

GPAです。A:4.0、A-:3.7、B+:3.3、B:3.0、B-2.7、C:2.0 として通算の加重平均が
学期末に通知されます。これが3.0を割ると"Probation"という「仮及第期間」を通告され
次の学期で頑張って3.0以上に引き上げないと退学になるのです。これが日本とは異なる、
米国の大学の厳しさです。
 

Re: Pax Tokugawa

 投稿者:keizo  投稿日:2017年 4月29日(土)14時15分8秒
返信・引用
  > No.8018[元記事へ]

sakamotoさんへのお返事です。

> もちろん、知っています。元はPax RomanaあるいはPax Britanica(というスペルだと思う)といって
> 古代ローマ帝国による統治が長く続き、その間、ヨーロッパは戦乱の無い時代であったこと、パックス・ブリタニカも、近世、英国が外交の主導権を握り、世界を引率した。翻って、江戸幕府によるおよそ300年間、主な内乱がない時代が続き、その間日本文化が熟成された、ということを幾分、日本文化を知っているネィティブスピーカーがPaxをあてたのでしょう、と答える。

「強大な覇権国、統治者が強権的にもたらす永続的平和状態」といったニュアンスで
pax という言葉を理解していました。

最近では pax americana とよく言われますね。
もしそうだとすると徳川時代にそれを当てはめるのは
ニュアンス的に微妙な気がするのですが・・・。

tokugawana と語尾変化しなくてもいいのでしょうか?

 

Re: 英語遍歴の一部

 投稿者:keizo  投稿日:2017年 4月29日(土)14時01分24秒
返信・引用
  > No.8019[元記事へ]

渚のバラードさんへのお返事です。

ご投稿ありがとうございます。
内容のぎっしり詰まったすばらしい体験談ですね。

文中のSFSUは

San Francisco State University

すごい名門ですね。

こんどこの大学に留学されたいきさつなども
またご紹介ください。

でも、B.S.がわかりませんでした。
文脈から察するに「上級クラス」のようなものなんでしょうか?

>通算の平均点は楽々3.0を超えました

GPAの成績なんでしょうか?

(GPA(ジーピーエー)とはGrade Point Average の略で、<成績平均値>のこと。アメリカの大学が合否を決める最に最も重視するのがこのGPAです。 日本の学校でよい成績を修めておくことが、アメリカ留学を成功に導くキーポイントです。)

>「ノー!」と叫んだのです。ダメロン先生 はじめ、クラス中の視線が僕に集まりました。特に、20才前後の女子学生が多かったので、皆、 恥じらいつつも、目を輝かせ、胸をワクワクさせながら、僕が次に発する言葉を待っておりました。 僕は、"Love is different. Love is above all."(愛は他と違うもの。愛は全てに優先する。)と答えた のです。

のくだりは、ドラマチックでしたね。
素敵なダメロン先生にメロンメロンの様子も伝わりとても面白かったです。

>ダメロン先生は僕の英文を、"Strong English"と評して下さいました。「貴方は英語で文学の授業を受けたことがあるのですか?」と 質問され、「今回が初めてです。」と答えたところ、"Oh, wonderful!"という言葉が返って来ました。

は最大級の賛辞ですね。
やはり日本語で屈強なで緻密な論理に貫かれた文章がお書きになれる方ならば、
英語でも同じことができるのだと改めて思いました。




>
>
>
>
 

英語遍歴の一部

 投稿者:渚のバラード  投稿日:2017年 4月29日(土)12時47分32秒
返信・引用
  啓造さん、皆様

いよいよ連休ですね。北朝鮮の方は膠着状態ですが、カール・ヴィンソン君が接近してますし、
黒電話の坊ちゃんも焦って、今朝ミサイルをぶっ放しましたが、空中爆発した模様です。
一説では、米国のサイバー攻撃の結果らしく、立て続けに北のミサイルは自爆しています。

さてさて、英語談議で盛り上がっていますが、もう10年以上前に書いたエッセイの一部から
僕の米国留学中の、英語に纏わるものを御紹介します。米国の大学における英語教育の一端を
御紹介できればと思います。

----------------------------------------

(途中から)斯くして、二学期目は両方とも"A"を獲得し、通算の平均点は楽々3.0を超えました。お蔭様で首 が繋がっただけでなく、B.S.でもやって行けそうな見通しが立ちました。この学期には、B.S. の授業の他、英語の補習事業を受けました。クラスはアジア系、アラブ系、中南米系の留学生で 構成され、中国、台湾、ベトナム、フィリピン、タイ、インドネシア等のアジア系が半数程いました。 学部の学生が多く、二十歳前後の人達ばかりで、しかも女性が多かったものですから、ある種の 気恥ずかしさがありました。

    教官はデボラ・ファン・ダメロン先生という、僕と同年代の素適な女性でした。創立当時、英語教育 の専門学校であったSFSUは、この分野の授業が充実しており、ヘミングウェイ、アネイス・ニン、 カート・ボネガット等の短編小説が教材になっていました。毎回その日の教材から課題が出され、 翌週迄にA4サイズ1枚程度の文章を作成し、タイプして提出しました。この授業では、英語での 表現力という表面的なことよりも、大学レベルでの文章力を鍛えられました。そして、それ以上に とても楽しい思い出があるのです。

    ダメロン先生の授業は、とても切れ味爽やかで、毎回、時間が来るのが惜しく感じられました。 彼女は、本当に文学が好きで、自ら貪欲に勉強されたという雰囲気の方でした。「皆さん勉強で 忙しいでしょうが、時間を有効に使いましょう。シャワーを浴びながらでも、レポートの内容は考え られるのです。」という言葉が印象的でした。有名作家の短編小説をテキストとし、授業は先生の リードでディスカッションが進み、その中からエッセイの課題が、毎週出されました。

    ヘミングウェイの短編、"Hills Like a White Elephant"(白い象のような丘)がテキストだった時の 授業を紹介しましょう。ストーリーは、スペインの片田舎を旅する男女が、鉄道事故のため小さな 駅で足止めされ、待合室で出発を待つ間の遣り取りを画いたものです。真夏の気だるさの中で、 復旧の目処も立たず待たされている二人ですが、男は怠惰にビールを呷り、女はそのような男の 生き方に、不安を募らせています。そして、目の前に広がる、焼け付いた「白い象のような丘」が、 二人の、出口の見えない閉塞し切った関系を象徴しているのです。

    この時の課題は、「二人の関係はこの先どうなるか」というものでした。僕を含めて、「女は新たな 人生を求めて一人旅立つ」というのが大半の回答であり、妥当な結論だったのですが、問題は それに至るプロセスを、如何に適切な形で論じるかなのです。先ず、女が男に失望していたこと を、文章の一節をベースに説明します。次に、失望していても、自ら解決策を模索し得る人物か否 かを判定せねばなりません。そして、「別離」という選択をするであろうと結論着けた根拠を、文中 から引用し、簡潔に述べる必要があります。要するに、文中に書かれていないことから結論を導く ことは許されず、実体あるものに立脚して論理を構築する訳です。このように、ダメロン先生から は、深く文章を読み、思考を広げて行く方法を教えられました。

    また、前号のとおり、この授業には、とても楽しい思い出があります。ある時、カート・ボネガット の、"A Long Walk to Forever"という短編が取り上げられました。徴兵されて兵役に就いている ニュートの許に、故郷から手紙が届き、家族の近況と併せて、幼馴染の女性が近く結婚すると 書かれてありました。突然、彼女への深い愛に目覚めたニュートは兵営を飛び出し、彼女の家に 駆けつけます。そして、有らん限りの情熱を尽くして、彼女に愛を告白しました。結婚目前の彼女 は、当然ながら彼の申し出を拒みますが、次第にニュートへの愛に目覚めて行くのでした。そし て、諦めて去って行く彼に向かい、「ニュート!」と大声で呼び掛けるのです。

    この時は、彼女の変心の是非がテーマとなり、中国の男子学生が、「結婚の約束を破るなんて許 せない。」と、常識的(?)な意見を述べました。この時、僕の脳裏を過ったのは、映画「卒業」の クライマックスであり、僕は反射的に、かなり大きな声で、「ノー!」と叫んだのです。ダメロン先生 はじめ、クラス中の視線が僕に集まりました。特に、20才前後の女子学生が多かったので、皆、 恥じらいつつも、目を輝かせ、胸をワクワクさせながら、僕が次に発する言葉を待っておりました。 僕は、"Love is different. Love is above all."(愛は他と違うもの。愛は全てに優先する。)と答えた のです。僕自身、全く予想しない展開でしたが、この時のクラス全体のフィーバーは、実に楽しい 思い出となりました。30代半ばの僕が、素適な女性のダメロン先生や、20才前後の若い女性達 に感銘を与えることが出来たのですから。

    斯くして、学期末を迎え、実り多きこの授業も終りましたが、ダメロン先生は僕の英文を、"Strong English"と評して下さいました。「貴方は英語で文学の授業を受けたことがあるのですか?」と 質問され、「今回が初めてです。」と答えたところ、"Oh, wonderful!"という言葉が返って来ました。



 

Pax Tokugawa

 投稿者:sakamoto  投稿日:2017年 4月29日(土)12時08分25秒
返信・引用
  > No.8013[元記事へ]

sakamotoさんへのお返事です。

>
> 今回の本は、前回の本より、文章も多く、内容も深く、読み応えがあるものであった。
> 同僚は、マーケットはヨーロッパであり、イギリス英語を意識して書いたという。
> すでに、ネィティブからの校正も済んでおり、さほど指摘するものはなかった。
>
査読後、同僚に返却した際に、彼女はあるフレーズが、Pax Tokugawaとネィティブスピーカー(ニュージーランド人。関西外語大の先生。なぎなたを習う)から修正されていたのだけれどPaxという語を知っていますか、と問われる。

もちろん、知っています。元はPax RomanaあるいはPax Britanica(というスペルだと思う)といって
古代ローマ帝国による統治が長く続き、その間、ヨーロッパは戦乱の無い時代であったこと、パックス・ブリタニカも、近世、英国が外交の主導権を握り、世界を引率した。翻って、江戸幕府によるおよそ300年間、主な内乱がない時代が続き、その間日本文化が熟成された、ということを幾分、日本文化を知っているネィティブスピーカーがPaxをあてたのでしょう、と答える。
 

Re: 日本語と英語の根本的な違い 6

 投稿者:sakamoto  投稿日:2017年 4月29日(土)11時09分13秒
返信・引用
  > No.8015[元記事へ]

keizoさんへのお返事です。

これでこのたびの論考の動機が、分りました。

カナダの先生は、つくろったような文章よりも、その人の思想がessayerされていることのほうを大事されたのかなと思います。
カナダで宿題で書いたエッセーが確かここでも披露されていましたね。

読みながら、社会学者の加藤秀俊氏の本の一節を思い出しました。

彼が書いた英文をアメリカの編集者は、ネィティブの立場から直し、赤インクだらけにして返してきた。

ところが、論文や書物のプロである、編集者は、「あなたの文体にはふつうのアメリカ人には絶対に思いつかないような発想の型があるわ、この文体をだいじにしましょう、といって、できるだけわたしの意図を忠実に汲み取るながら、最低必要な文法上のまちがいの訂正だけで編集してくれるのである。……私の文体のどこが、どんなふうにいいのか、は自分でも分らないが、とにかく、わたしの英語をみとめ、力づけてくれる人に、わたしは初めて出会ったのである。」

午後、焼津の病院に行く予定。

 

イングリック

 投稿者:keizo  投稿日:2017年 4月29日(土)10時57分35秒
返信・引用
  鈴木孝夫さんとイングリックについて
よくまとまったページがあったので紹介します。

@@@@

http://japanenglish.jp/englisheducation/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%95%99%E8%82%B2%E8%AB%96%E8%AD%B0%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E7%9F%A5%E8%AD%98%EF%BC%88%EF%BC%94%EF%BC%89%E3%80%80world-englishes%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA.html

英語教育論議の基本知識(4) World Englishes・イングリック・グロービッシュ
2011年9月3日

World Englishes
英語教育論議の基本知識(1)では、英語の規範はもっとルースでよいのではないかというKachruの意見をご紹介した。その意見の延長線上には、さまざまな種類の英語が存在してもよいという発想が潜んでいる。すなわち、英語はもはやEnglishではなくEnglishesであるという意識である。

この意識は、研究者のなかではすでに市民権を得ており、World Englishesという学会も存在する。World Englishesの世界を少しのぞいてみると、世界にはじつにさまざまな英語があるものだと感心する。

イングリック
そうしたWorld EnglishesのひとつとしてのJapanese Englishはどのようなものであるべきか。そのひとつの例として、鈴木孝夫の提唱する「イングリック」を紹介しておきたい。鈴木孝夫は日本でもっとも有名な言語社会学者の一人である。その鈴木がここ20年ほど主張しているのが「イングリックのすすめ」である。2001年に発刊された『英語はいらない!?』(PHP新書)という本から引用しながら、イングリックとその背景について説明していこう。

(以下、引用)
「英語らしきもの」でいけ
たいていの人は「外国語を学ぶ目的の第一は、そのことばが用いられている国や民族の歴史や文化を学ぶことです」と言います。しかしこのことはいま英語に関する限り、全くあてはまらなくなってしまったのです。英語は国際化したために、特定の国や民族との歴史的なつながりが薄くなり(脱英米化)、文化的にはいわば根無し草の、いわゆるリンガ・フランカ的な側面が大きくなっているからです。(略)

だから私は英語が国際的に最も広まったから、日本人もそれに習熟しなければと言うときの英語は、もはや英米人の文化と表裏一体をなす、彼らの私有財産としての言語ではなくて、英語という言語を材料としたそれと非常に近い、似た言語、それを私は「イングリック(Englic)」と名付けたのですが、このイングリックを学ぶべきだと二十年も前から主張してきたのです。
(『英語はいらない!?』p102-103)
(引用おわり)

ここで述べられていることは、まさにEnglish as an International Languageとしての英語のことである。ただ鈴木はこれに発展させて、もはやそれは英語ではなく、英語を素材とした別の言語であるとして、それに「イングリック」という名称をつけている。さらに引用を続けよう。

(ここから引用)
痛み分けこそ国際語
イングリックとは、ひとまず英語を言語素材として、日本人が言いたいこと、自分のことを言うための手段であって、これは英語を元々使う人々(ネイティブ・スピーカー)と、それを学習して使う人々(非英語国民)との中間に位置する、妥協の産物と考えてください。ほんとうは私たち日本人は日本語で世界に向かって言いたいことを言うのは理想だけれども、それはちょっとこちらの弱いところで外国に日本語を教えるのをこれまで忘れていた、だから向こうは学んでいない。そこで当面は英語らしきものを使わざるを得ないという考え方です。(略)

つまりイングリックは英米人にとっても自分の英語そのものではないという意味で外国語なのです。ただそれでもはるかに英語の方に近いから、日本人にとっての不利な重荷は残るが、本当に英語、つまり相手のものである英語をそっくり学ばなければならないと思い込むよりはずっと気持ちが楽になります。

それを初めから「あなた方の言語、大切な財産である英語を私たちは間違わないよう一生懸命勉強します」と言ってしまえば、「ああ、いい子だ、いい子だ。俺たちの英語をやるのか。おっ、ちょっと違うよ。ここ直しなさい。ああしなさい」となってしまう。そして「英語が上達するためにはイギリスの歴史、文化、社会についての勉強をやらなければ駄目だ。アメリカ人について学び、彼らの風俗習慣までをそっくり真似しなければ本当の英語が身につかない」ということになって、いつもまにかこれまでのようなアメリカかぶれ、イギリス大好き人間ができてしまうわけです。そしてもともとは全世界と交流し、日本を世界に広く知らせるために英語を学ぶはずだったのが、いつの間にかロシアのことイスラムのこと、隣の韓国のことも何一つ知らない人間ができて、「世界とはアメリカのこと」となってしまう。

そして一番困ることに、肝心の日本や自分について、英語で何一つ語れなくなってしまう。だからそれを防ぐためには、何と言っても国際的に通じなければ国際語とは言えないのだから、英語という国際的に広く用いられている言語をできる限り活用する。ただしそれはイングリックだ、英語そのものではないと一方的に主張し、その気持ちで堂々と使えば、結果としては相手の「本当の」英語をオドオドしながら下手に使うよりはるかに通用する。自分の言うのも変ですが、このイングリック(Englic)は結構いい名称だと思いますよ。English-like language(英語みたいな言語)というわけですから。これを見れば英語に関連した言語であって、しかも英語(English)ではないことが一目で分かる。

これからの国際語というのは、世界のどの民族も少しずつ、公平にそれなりの負担や持ち出しを覚悟する、大岡裁きにある三方一両損の痛み分けで行くべきだというのが私の考えなのです
(同上、p103-107)
(引用おわり)

前半は「英語崇拝からの脱却」について、後半は「国際的とはみんなが公平に痛みを分かち合うこと」についての説明だ。この二つを実現する道具として鈴木はイングリックを提唱してきたという。エスペラントの発想にきわめてよく似ている。

まことに過激な意見であると思う人もいるかもしれない。だが本当にそうだろうか。この鈴木の主張は、Kachruの主張と何も変らない。イングリックとは、ようするにEILのひとつなのである。この本が出版されたのが2001年で、その時点で鈴木はイングリックを20年も提唱しているのだから、1980年代初頭から言い続けていることになる。当時はまだ鈴木の主張をまともに理解できる人は日本にほとんどいなかったと考えられる。しかしその後、1984年には前述のQuirkとKachruの論争があり、そしてWorld Englishesの国際学会もできた。世界は鈴木の提唱した方向へと歩み出したのである。

グロービッシュ
鈴木の「イングリック」にはたしかに一理ある。だがそれが現実的かというと、全面的には賛成しかねる。たとえばイングリックのルールのひとつに「英語の不規則な変化(動詞や名詞など)を無視する」というものがある。たしかにgo-went-goneの変化に意味はない。いわば英語の盲腸のようなものだ。go-goed-goedのほうが合理的ではある。しかしそれは理想として正しいのかも知れないが、現実としてはHe goed to the park.という表現を実際のビジネス交渉の場などで使うのはやはり無理筋だ。

そうした無理筋を取り除いたかたちで、いま脚光を浴びているのが、グロービッシュ(Globish)である。グロービッシュとは、元IBM社重役でフランス人のジャン・ポール・ネリエール(Jean-Paul Nerrière)が考案した国際共通語のことである。

グロービッシュの言語面での特徴は、単語数を1500語だけに絞り込んだこと、文法や発音をできるかぎりシンプルにしたことなどだが、重要なポイントはそうした言語的特徴にあるのではない。もしそうであれば、グロービッシュもベーシックイングリッシュなど数多くの簡易英語の一変種にすぎない。

グロービッシュの最大の特徴は、提唱者のネリエールがそれを英語「ではない」と規定しているところにある。ネリエールは、次のようにいう。

(以下、引用)
It is very important that the Globish name is not “English for the World” or even “Simple English.” If its name were any kind of English, the native English speakers would say. “OK, we won. Now all you have to do is speak better English.” Without the name Globish, they will not understand it is a special kind of English, and it is no longer “their” English.
(Globish The World Over, Jean-Paul Nerrière and David Hon,より抜粋)

とても重要なことは、グロービッシュは“ワールドイングリッシュ”でもなく“シンプルイングリッシュ”でもないということだ。グロービッシュが英語なのであれば、英語ネイティブたちは「それなら私たちのものだ。君たちがしなければいけないのは、もっと英語がうまくなることに尽きる」というだろう。もしグロービッシュという名前でなければ、彼らはそれがまったく特別な英語なのであり、そして、彼らのものではないということを理解しないことだろう。
(引用おわり)

ネリエールがいいたいのは、グロービッシュは“不十分な英語”ではなく“十分な国際共通語”だということである。したがって英語のネイティブもまたグロービッシュを学ばなければならない。そうでないと、現在の世界人口のわずか12%しか占めていない英語ネイティブたちは、残り88%の英語ノンネイティブたちとうまくコミュニケーションができないことになる。実際、英語ネイティブ同士のコミュニケーションは国際コミュニケーションのわずか4%を占めているにすぎないという調査結果が出ている。残りの96%の国際コミュニケーションは英語ノンネイティブが一人以上いる状況でなされており、そこでの共通語となるのがグロービッシュなのである。ネリエールはこういう。

(以下、引用)
We want everyone to able to speak to and understand everyone. There is a middle ground, but the native English speakers are not the one drawing the borders. And because you may not be able to say this to a native speaker, who might not to able to understand ? we will say it here.

世界中の誰もがお互いに話しあうことができ、わかりあえるようになりたいものである。そのためには共通の言語が必要だ。だがその言語がどのようなものなのかを決めるのは英語ネイティブではない。ところが英語ネイティブたちにはそのことがわからないかも知れない。そこでそのことを彼らにうまく伝えられないかもしれない皆さんのために、我々がここでそれを主張していきたいのである。
(引用おわり)

すでにお気づきのかたが多いと思うが、ネリエールの主張は鈴木孝夫の主張とほぼ同じである。ネリエールはそれをグロービッシュと呼び、鈴木はそれをイングリックと呼んでいるにすぎない。いずれも中核となる思想は、これからの国際共通語の規範は英語ネイティブが決めるのではなく、世界のみんなが納得できるかたちで決めるべきだということである。

さてグロービッシュは、これから普及していくのだろうか。まず提唱者のジャン・ポール・ネリエールがフランス人で元IBM社重役であるという事実は、今後のグロービッシュの普及に大きな役割を果たすだろう。これがインドネシアの教育者とかであれば、そうはいかない。また米国の世界支配の衰退と中国やブラジルなどの非英語圏の勃興がはじまっており、これが英語に代わる国際共通語を強く求める声につながっていくとも思われる。そうした点を鑑みると、これまでのエスペラントやベーシックイングリッシュとは違って、グロービッシュはひょっとすると普及するかもしれない。
Categories: 英語教育論の基本知識
 

日本語と英語の根本的な違い 6

 投稿者:keizo  投稿日:2017年 4月29日(土)10時15分37秒
返信・引用
  日本語と英語の根本的な違い 6

●「日本語と英語の根本的な違い 」の執筆動機

ここに、人々に多大な影響を与えた人物がいたとしよう。
彼は多くの人からさまざまに論評されていたとしよう。

もしその中に、正鵠を射、全体像や本質を捉えた
論評が提出され、それに誰も異を唱えることがなければ、
その論評は「定説」となり、その人物像は固定化することになる。
そして新たな論評も、もはや提出されることはなくなる。

それぞれの論評が、その人物の一面的な真実しか捉えてはおらず、
全体像や本質を捉えたものではなかった場合、
「いやそれは違う、本当はこんなだ」という新たな論評が
提出されることになる。

このことは、人物だけではなく、「英語」とか「日本人」
とかを論評するときにも適用できる。

傲慢で力不足であることは承知だが、
私は「日本語と英語の根本的な違い」をまとめることで、
「新たな論評」を書いてみたいと思った。

もう六十になり、人生の残り時間は限られてきた。
今書かなければ、おそらく「新たな論評」など書く気力は
なくなることだろう。

私は人生の大半を「英語」に費やしてきたとはいえないが、
日本の学校制度の下、英語につき合わされ、
それなりに好きになり、時にはうんざりしながらも、
英語とのかかわりに多くの時間を割いてきた。

大学を卒業した後は、英語との縁は切れたと思ったが、
学習塾の講師でもやるしかない状況に陥り、
英語とのかかわりが復活した。
生徒から月謝をもらう限りは、しっかりとした知識や技能を
身に付ける必要が生じ、それなりに一生懸命勉強した。
五十近くになって、自分の能力不足を恥じて、
カナダの語学学校へ四ヶ月ほど勉強しに行ったことさえある。

でも、私の英語能力はたいしたことはない。
英検はついに一級を取れずじまいで断念した。
TOEICもせいぜい800点台の前半である。
スポーツの分野でも同じことがいえるが、
基礎体力(地頭のよさ)が欠如していると、
ある段階で伸びが止まってしまう。
私の場合、とりわけ「記憶力」「即解力」の点では
平均以下であることを、語学学校の他の生徒との比較で
つくづく思い知った。
もしこの二つの基礎体力が欠如していた場合、
時間との勝負のペーパーテストでは、
高得点を取ることはとても期待できない。

しかし語学学校で、自覚しなかった自分の能力を指摘され
「そうだったのか」とうれしく思ったこともある。
週に一度のエッセイの宿題があって、
私の書いた文章が必ずほめられるのである。
テストでは私よりはるかに優秀な若い同級生の作文は、
真っ赤に添削され、けちょんけちょんにこき下ろされるのだが、
私の文章は1ページに数箇所瑣末な訂正が入る程度で、
年取った学習者の私へのお世辞も入っていると思うが
レポートの余白には、

 Exellent! You have a great writer's spirit!!
  (すばらしい! あなたは偉大な物書きの魂をお持ちです)

などと持ち上げてくれるのである。

そうか、私の書く文章でも、それなりにネイティブには
言いたいことは正確に伝わり、感動さえ与えることが
できるのだということがわかって、
このことだけでも、はるばるカナダまで勉強しに来て
よかったとさえ思った。

これと前後して、私は英語研究家で文明批評家の
鈴木孝夫さんを知った。
この方の主張は、日本人は臆することなく、
日本語を外国に広めると同時に、
第二外国語としての「イングリック(englic)」を使って、
積極的に情報発信をするべきだ、というものであった。
(正確な要約ではないと思われるので、
興味のある方はサーチしてみてください)

鈴木さんが主張する「イングリック(englic)」は
この前紹介した人工言語である「エスペラント語」の
考え方と似ている。
異民族間の円滑なコミュニケーションに資する、
英語から煩瑣なルールを取り除き簡略化した
外国人にも学びやすい第二外国語としての
「イングリッシュライク(english-like):英語みたいなもの」
を作ろうとする提案である。

非英語民はどうして、多大な時間と労力を費やして
わけのわからないルールや、微妙なネイティブ感覚を
身に付けることを強制されるのか、おかしいじゃないか!!
という訴えでもある。

私は、カナダの地で、作文をほめられ、
気をよくしたこともあったが、
鈴木さんの以上のようなことが書いてある著書を通じて
ネイティブ感覚に卑屈に擦り寄ることをやめて、
日本語とはまったく異なる「英語の本質」を見極め、
その原理原則に従った英語を使っていけばよいことを悟った。

さらに言えば、英語にはいろいろあり、
それらをいちいち相手にしていたら、身が持たないので、
その原理原則に外れた英語は、
とりあえず無視していいのだと悟った。

そして、「英語の本質」を貫いているのは
「メタフィジカル発想」であると結論付けた。
 

母親の入院

 投稿者:sakamoto  投稿日:2017年 4月29日(土)10時13分28秒
返信・引用
  家人の母は、風邪をこじらせて、今、静岡市立病院に入院している。かれこれ2週間は経つ。90を超えているだけに回復にはそれなりの時間がかかっているのだろう。
毎日、家人が見舞いに行っている。

本日、会社で仕事中、家人から電話があり、坂本の実家の母親が入院するとのことである。
昔のことが一度に、思い出され、分ってはいるものの、寂しいものがある。
 

アメリカ英語とイギリス英語

 投稿者:sakamoto  投稿日:2017年 4月29日(土)10時02分26秒
返信・引用
  同僚が、日本の文化をテーマにした海外向の本の出版を準備している。
本は、文章は、英語(同僚が取材し、執筆)で書かれ、レイアウト、写真は外部のプロによるもので、迫力のあるものになっている。

同僚から、ある程度、型ができたゲラ刷りの英文査読を頼まれ、今週前半、時間の合間をみて査読していた。
同僚自身、英国に10数年生活しており、英語力も大したものがある。
私に依頼がきたのは、長年某社の海外向のマニュアルの編集に従事していたこと、ベルギーに長年いたという経験、周りの同僚が、英語、仏語、独語について私に訊いてくる、さらに私は何だかしらないが、小難しい本を読んでいるようで、日本文化について造詣が深いのではという美しき誤解があって、依頼がきたのだと思う。

今回の本は、前回の本より、文章も多く、内容も深く、読み応えがあるものであった。
同僚は、マーケットはヨーロッパであり、イギリス英語を意識して書いたという。
すでに、ネィティブからの校正も済んでおり、さほど指摘するものはなかった。

イギリスとアメリカ英語では、color がcolourに centerが centreに変わるのは知っていたが、今回改めて気づいたのは、コーテーションマークの形である。

引用したり、会話文には、イギリスはシングルコーテーションを、それに対して、アメリカは、ダブルコーテーションを使用しているということである。
何冊か、英語で書かれた本を持っているが、確かに、イギリスで印刷された本には、シングルコーテーションを、アメリカで印刷された本には、ダブルコーテーションが使われていた。
(知らなかったのは私だけだとつらい。)

 

Re: N先生の「働くほどよく読書する」

 投稿者:sakamoto  投稿日:2017年 4月29日(土)08時48分57秒
返信・引用
  > No.8011[元記事へ]

keizoさんへのお返事です。

中国の書物は、敬遠していたのですが、「史記」、「ローマ人の物語」は面白そうですね。
「トニオ・クレーガー」の坂東さんの感想は私も同じです。

潤沢ではない、後半の時間、あとどれくらい面白い本を読めるのかなと最近思います。
(逆に、以前読み、理解が不十分だった本を取り出しては、再読しています)

>
> 実家の母は蔵書家でしたし、戦死した叔父の本も山のようにあった。ただ、少し難しくて、堅い本が多かったんです。だからその頃、私が一番愛読したのは、貸本屋で借りた山中峯太郎の血沸き肉躍る『敵中横断三百里』や、山手樹一郎、柴田錬三郎の時代小説、また『鉄腕アトム』や『少年王者』が連載されていた雑誌など、あまりマジメではないものが多かった。1泊2日10円で借りて、夢中で読みましたね。
>
> 私は中国の歴史が好き。1位に挙げた『史記』は今でも時々読み返す愛読書です。
>
> この作品は前漢の武帝時代に司馬遷によって編纂された歴史書。武帝の怒りを買って、司馬遷は宮刑(去勢する刑罰)に処せられてしまいますがそのことがものすごくコンプレックスになります。それでも屈辱を糧にこれだけ立派な歴史書を書いたわけです。
>
>
> 彼は勝者ではなく敗者を描くのが好きで、それは最終章、「列伝」で取り上げられている多彩な人たちの生き様を見てもわかります。
>
> いくら正義感があり、徳の高い人物でも人生では負けることのほうが多い、それでもなお生きる価値はある。司馬遷はこの本で、歴史の原動力とともに、人が生きる上での原動力を伝えようとしています。
>
> そして2位は『万葉集』。万葉集から約400首を厳選した斎藤茂吉の『万葉秀歌』が入り口でした。わかりやすい解説が書かれていて、素人には読みやすかった。
>
> 一番好きな歌は、笠郎女の『君に恋い 甚も術なみ平山の 小松が下に立ち嘆くかも』です。恋い慕う大伴家持に遠くから、ただ立ち尽くすことしかできない詠み手の切なさが胸に染みました。
>
> 3位は『ローマ人の物語』。塩野さんの作品は『ルネサンスの女たち』、『海の都の物語』など、ほとんど読んでいます。『ローマ人の物語』は、古代ローマ全史を描いたスケールの大きな作品で、彼女の代表作。登場している英雄たちはシーザーを始め皆魅力的で読み応えがあります。
>
>
> どんなときでも本に手が伸びる
>
> 一方で、根拠のない断定や重大な事実の誤りがあるなど、歴史書として読まれることに批判的な専門家もいます。けれど、塩野さんの目を通して、ピックアップされているローマの歴史には、意外にその時代の本質があるのではないかと私は思っています。
>
> 4位の『源氏物語』は様々な方が訳していますが、私が一番最初に読んだのは母が持っていた与謝野晶子翻訳のものでしたね。
>
>
> 『源氏物語』には、いろんな女性たちが登場していますが、私が一番好きなのは六条御息所です。能の「葵上」、梅原猛の『地獄の思想』でも題材にされていますが、六条御息所は光源氏に恋い焦がれながらも、叶わずに生霊となります。
>
> そして、恋敵に取り憑いて殺してしまう。激しくて、怖い女性なんですけど、なぜかその強さに惹かれてしまうんですよね。
>
> 5位の『女坂』は円地文子さんの作品です。地方官吏の夫のために妾を探しに上京する妻の物語。今では考えられませんが、明治初期では儒教的な子孫繁栄が親孝行という考え方があって、よくできた妻というのはすべてを犠牲にして家に、そして夫に殉じるわけです。
>
> ただし、最後の最後、妻は「私が死んだ後は死骸を海にざんぶり投げ捨ててほしい」と今まで夫に耐えて来た鬱積を吐き出してしまう。円地さんの母方の祖母がモデルだそうです。母親からおばあさんの大変な人生を聞いたのでしょう。見事に小説に純化されています。
>
>
> 9位に『草の花』を挙げたのは、大学生の頃にこの小説の舞台になった学生寮で合宿をしたりして、憧れを抱いていたから。主人公は戦前の高校生で、知的だけど繊細で弱虫の典型的なインテリです。一通りの音楽や文学の素養も持っている。知らないということに強い羞恥心があったから、教養を持っているわけです。
>
> 今は、単位にならないことはやらない学生が多いんですが、それは本当にもったいない。
>
>
> 私は学生時代は受験勉強や定期試験に追われ、就職してからは報告書だ何だと、とにかくやるべきことが山積みでした。結婚してからは仕事に家事も加わりましたけど、どんなに慌ただしい日々でもついつい本に手が伸びてしまいます。
>
> 仕事もそこそこに本を読んでしまう。勉強をしないで本を読んでいた子供の頃と同じです。自分はなんて怠惰な人間なんだろうと罪悪感にかられながらも、本を読むことをやめられなかった。
>
> 読書は私にとって自分を甘やかす快楽です。
>
> @@@@@@@@@
>
> (構成/大西展子)
>
> 坂東眞理子さんのベスト10冊
>
> 第1位『史記』全8巻
> 司馬遷著 市川宏・杉本達夫訳 徳間文庫カレッジ 1250円(第一巻)
> 原書は全130巻に及び、二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の歴史書とされる。歴史的価値と共に文学的価値も高い
>
> 第2位『万葉集』全5巻
> 佐竹昭広ほか校注 岩波文庫 1080円(第一巻)
> 日本に現存する最古の和歌集。日本文学における第一級の史料であることはもちろん、方言学の資料としても重要
>
> 第3位『ローマ人の物語』全15巻
> 塩野七生著 新潮社 2300円(第一巻)
> 古代ローマ全史を描いた歴史文学作品。各時代の主要人物に光を当て、彼らの行動を中心に描くスタイルをとった
>
> 第4位『源氏物語』全6巻
> 紫式部著 円地文子訳 新潮文庫 古書のみ入手可
> 帝の子・光源氏を主人公に彼を取り巻く女性たちとの愛と苦悩、平安貴族の風俗を描く
>
> 第5位『女坂』
> 円地文子著 新潮文庫 490円
> 妻妾を同居させ、小間使いや長男の嫁にまで手を出す夫に耐える妻の悲劇と怨念を描く
>
> 第6位『西行花伝』
> 辻邦生著 新潮文庫 940円
> 「西行に託して辻さんが言いたかったのは、何よりも歌の力は偉大で魅力的だってこと」
>
> 第7位『トニオ・クレエゲル』
> トオマス・マン著 実吉捷郎訳 岩波文庫 480円
> 「のびやかに生きていく友に違和感を抱く不器用なトニオに自分を重ねて共感しました」
>
> 第8位『ジャン・クリストフ』全4巻
> ロマン・ロラン著 豊島与志雄訳 岩波文庫 900円(第一巻)
> 「ロランの党派性や情実に満ちた社会への批判も込められていて読みごたえがあります」
>
> 第9位『草の花』
> 福永武彦著 新潮文庫 550円
> 旧制高校生の生活とほのかな初恋を通して、人間の孤独と愛の可能性を描いた青春小説
>
> 第10位『利己的な遺伝子』
> リチャード・ドーキンス著 日高敏隆ほか訳 紀伊國屋書店 2800円
> 「我々は遺伝子の乗り物に過ぎず、利用されている、と。人間観を変えてくれた本」
>
> 『週刊現代』2017年5月6・13日号より
 

Re: N先生の「働くほどよく読書する」

 投稿者:keizo  投稿日:2017年 4月29日(土)08時11分55秒
返信・引用 編集済
  > No.8009[元記事へ]

sakamotoさんへのお返事です。

> 啓造君から紹介されたN先生のコラムを毎日、拝見させていただいている。
> 推敲され、きちんと整理され、そして含蓄のあるコラムは、読むたびに感心する。舌をまく。
>
> 最近の「働くほどよく読書する」のコラムは、実は私に限っていうとあたっている。
> 日々、「饗宴」、「野生の思考」、「カレワレ」、「現代詩集」、「第二次世界大戦」、「遙かなノートルダム」、コナンドイルの原書、唐木順三、吉田健一各作品を併読しているのだが、読む時間が限られているからこそ、読めるのだろうなあといつも思っている。逆に休日は、さほど食指がわかない。


読書の話題が出たので・・・。

『女性の品格』著者・坂東眞理子が選ぶ「人生最高の10冊」
という文章を「現代ビジネス」のサイトで見つけました。
面白かったので、紹介します。

@@@@@@@

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51576

『女性の品格』著者・坂東眞理子が選ぶ「人生最高の10冊」
坂東 眞理子

一大ブームとなった『女性の品格』を執筆した評論家の坂東眞理子さん。10代から無類の本好きだと言う坂東さんに、人生で最高の本、10冊を選んでもらった。

負けても生きる価値はある

今でもそうですが、特に10代の頃は、読書ばかりしていました。

実家の母は蔵書家でしたし、戦死した叔父の本も山のようにあった。ただ、少し難しくて、堅い本が多かったんです。だからその頃、私が一番愛読したのは、貸本屋で借りた山中峯太郎の血沸き肉躍る『敵中横断三百里』や、山手樹一郎、柴田錬三郎の時代小説、また『鉄腕アトム』や『少年王者』が連載されていた雑誌など、あまりマジメではないものが多かった。1泊2日10円で借りて、夢中で読みましたね。

私は中国の歴史が好き。1位に挙げた『史記』は今でも時々読み返す愛読書です。

この作品は前漢の武帝時代に司馬遷によって編纂された歴史書。武帝の怒りを買って、司馬遷は宮刑(去勢する刑罰)に処せられてしまいますがそのことがものすごくコンプレックスになります。それでも屈辱を糧にこれだけ立派な歴史書を書いたわけです。


彼は勝者ではなく敗者を描くのが好きで、それは最終章、「列伝」で取り上げられている多彩な人たちの生き様を見てもわかります。

いくら正義感があり、徳の高い人物でも人生では負けることのほうが多い、それでもなお生きる価値はある。司馬遷はこの本で、歴史の原動力とともに、人が生きる上での原動力を伝えようとしています。

そして2位は『万葉集』。万葉集から約400首を厳選した斎藤茂吉の『万葉秀歌』が入り口でした。わかりやすい解説が書かれていて、素人には読みやすかった。

一番好きな歌は、笠郎女の『君に恋い 甚も術なみ平山の 小松が下に立ち嘆くかも』です。恋い慕う大伴家持に遠くから、ただ立ち尽くすことしかできない詠み手の切なさが胸に染みました。

3位は『ローマ人の物語』。塩野さんの作品は『ルネサンスの女たち』、『海の都の物語』など、ほとんど読んでいます。『ローマ人の物語』は、古代ローマ全史を描いたスケールの大きな作品で、彼女の代表作。登場している英雄たちはシーザーを始め皆魅力的で読み応えがあります。


どんなときでも本に手が伸びる

一方で、根拠のない断定や重大な事実の誤りがあるなど、歴史書として読まれることに批判的な専門家もいます。けれど、塩野さんの目を通して、ピックアップされているローマの歴史には、意外にその時代の本質があるのではないかと私は思っています。

4位の『源氏物語』は様々な方が訳していますが、私が一番最初に読んだのは母が持っていた与謝野晶子翻訳のものでしたね。


『源氏物語』には、いろんな女性たちが登場していますが、私が一番好きなのは六条御息所です。能の「葵上」、梅原猛の『地獄の思想』でも題材にされていますが、六条御息所は光源氏に恋い焦がれながらも、叶わずに生霊となります。

そして、恋敵に取り憑いて殺してしまう。激しくて、怖い女性なんですけど、なぜかその強さに惹かれてしまうんですよね。

5位の『女坂』は円地文子さんの作品です。地方官吏の夫のために妾を探しに上京する妻の物語。今では考えられませんが、明治初期では儒教的な子孫繁栄が親孝行という考え方があって、よくできた妻というのはすべてを犠牲にして家に、そして夫に殉じるわけです。

ただし、最後の最後、妻は「私が死んだ後は死骸を海にざんぶり投げ捨ててほしい」と今まで夫に耐えて来た鬱積を吐き出してしまう。円地さんの母方の祖母がモデルだそうです。母親からおばあさんの大変な人生を聞いたのでしょう。見事に小説に純化されています。


9位に『草の花』を挙げたのは、大学生の頃にこの小説の舞台になった学生寮で合宿をしたりして、憧れを抱いていたから。主人公は戦前の高校生で、知的だけど繊細で弱虫の典型的なインテリです。一通りの音楽や文学の素養も持っている。知らないということに強い羞恥心があったから、教養を持っているわけです。

今は、単位にならないことはやらない学生が多いんですが、それは本当にもったいない。


私は学生時代は受験勉強や定期試験に追われ、就職してからは報告書だ何だと、とにかくやるべきことが山積みでした。結婚してからは仕事に家事も加わりましたけど、どんなに慌ただしい日々でもついつい本に手が伸びてしまいます。

仕事もそこそこに本を読んでしまう。勉強をしないで本を読んでいた子供の頃と同じです。自分はなんて怠惰な人間なんだろうと罪悪感にかられながらも、本を読むことをやめられなかった。

読書は私にとって自分を甘やかす快楽です。

@@@@@@@@@

(構成/大西展子)

坂東眞理子さんのベスト10冊

第1位『史記』全8巻
司馬遷著 市川宏・杉本達夫訳 徳間文庫カレッジ 1250円(第一巻)
原書は全130巻に及び、二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の歴史書とされる。歴史的価値と共に文学的価値も高い

第2位『万葉集』全5巻
佐竹昭広ほか校注 岩波文庫 1080円(第一巻)
日本に現存する最古の和歌集。日本文学における第一級の史料であることはもちろん、方言学の資料としても重要

第3位『ローマ人の物語』全15巻
塩野七生著 新潮社 2300円(第一巻)
古代ローマ全史を描いた歴史文学作品。各時代の主要人物に光を当て、彼らの行動を中心に描くスタイルをとった

第4位『源氏物語』全6巻
紫式部著 円地文子訳 新潮文庫 古書のみ入手可
帝の子・光源氏を主人公に彼を取り巻く女性たちとの愛と苦悩、平安貴族の風俗を描く

第5位『女坂』
円地文子著 新潮文庫 490円
妻妾を同居させ、小間使いや長男の嫁にまで手を出す夫に耐える妻の悲劇と怨念を描く

第6位『西行花伝』
辻邦生著 新潮文庫 940円
「西行に託して辻さんが言いたかったのは、何よりも歌の力は偉大で魅力的だってこと」

第7位『トニオ・クレエゲル』
トオマス・マン著 実吉捷郎訳 岩波文庫 480円
「のびやかに生きていく友に違和感を抱く不器用なトニオに自分を重ねて共感しました」

第8位『ジャン・クリストフ』全4巻
ロマン・ロラン著 豊島与志雄訳 岩波文庫 900円(第一巻)
「ロランの党派性や情実に満ちた社会への批判も込められていて読みごたえがあります」

第9位『草の花』
福永武彦著 新潮文庫 550円
旧制高校生の生活とほのかな初恋を通して、人間の孤独と愛の可能性を描いた青春小説

第10位『利己的な遺伝子』
リチャード・ドーキンス著 日高敏隆ほか訳 紀伊國屋書店 2800円
「我々は遺伝子の乗り物に過ぎず、利用されている、と。人間観を変えてくれた本」

『週刊現代』2017年5月6・13日号より
 

Re: 謎の女性の実像に迫る

 投稿者:keizo  投稿日:2017年 4月29日(土)07時59分6秒
返信・引用
  > No.8008[元記事へ]

sakamotoさんへのお返事です。


> まだ決めていないのですが、「鬼平犯科帳(長谷川平蔵)と焼津(りんそう院)」はどうだろうか、とか
> 小川国夫氏、藤枝静男氏の作品の中で、何かあるかなといろいろ考えています。


なにとぞよろしくお願いします。
「謎の女性」についてのメール拝読しました!!
 

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